2011年7月12日火曜日

希望もなく 恐れもなく

イタリアのフェッラーラのエステ家は、
ルネサンス芸術の庇護者
イザベッラ・デステの生家。

彼女は、イタリア分国時代に
嫁ぎ先のマントヴァで、芸術家を集め、
文化的サロンを築いた。

マントヴァの宮廷内の
彼女の書斎の入り口には
彼女の座右の銘が刻まれている。

Nec spe nec metu
「希望もなく 恐れもなく」

女性として政治手腕を
振るった彼女にとっての芸術は、
さして大国でないマントヴァが
イタリアルネサンスの5大強国:
ヴェネツィア共和国、
ミラノ公国、
フィレンツェ共和国、
ナポリ王国や法王領と
同等にわたりあう事を目的として、
また、自らの名声を高めるための
手段のひとつだったのではあるまいか。

『希望もなく、恐れもなく』と
現実主義的に
政に向かっていった彼女が、
サロンの芸術活動を
政治の難しい交渉の潤滑油に
使ったにせよ、
彼女も音楽の調べで
やすらぎの時を
もったことだろう。


当時の宮廷をしのび
何人かのリュート奏者の伴奏で
イタリアルネサンスの音楽会を
いつかしよう

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